前回記した話に、新たな動きがあった。結論から言えば、ひとまずシンバは生きている。
社長にも良心の呵責はあった。
小さいながらもの一企業の長として、近隣住民とのトラブルを抱えるわけにはいかない。かといってシンバを一から躾けることは自分には出来ないだろう、そして家族の助けも得られない。このまま保健所からシンバを連れ戻しても、同じようなトラブルが起きることは目に見えている、だからシンバは手放すしかない。しかし、このまま保健所で処分というのはあまりにも酷い仕打ちではないだろうか。
そう考えて、シンバはひとまず保健所から社長の親戚の家へと移ることになった。これでシンバは一命をとりとめたが、まだ根本的な解決には至っていない。
その後も色々と進展はあるものの、文章に記すのはここまでにしたい。
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シンバの一件以来、村上春樹さんの壁と卵の話の事をよく考えていた。多くの人が、ひとまず卵の側に立って物事を考えていくというのは、必ずしも絶対に正解にたどり着く確証はないけれど、致命的な間違いへは絶対に進まないよなー、と。
不条理の種に対抗する唯一の手段かもしれない。
久しぶりに風邪を引いた時に、こんな話を聞いて、そしてその日の夜に観た夢の話。
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とある電設業を営む会社には、明け方になると激しく吠える犬が居た。名前をシンバという。
シンバは子犬の頃にこの会社の社長が連れてきた。以来8年ほどの間、この会社の敷地に建てられた犬小屋で寝起きし、餌を与えられ、知らない人間に吠えかかり、知っている人間とは柔和な態度で接した。慣れた人にとっては気のいい犬だったが、多くの人間にとってはしつけのなってない頑固で嫌な犬の印象しか持てないような犬だった。
シンバは明け方に吠えた。そうすると飼い主が家から出てきて、首輪の鎖を解いてくれることを知っていた。自由になったシンバは、自分の縄張りを巡回し、然るべき場所へ小便や糞をして、朝ごはんの時間になったら戻ってきた。
一切散歩に連れて行ってもらえないシンバにとって、この自由なひとときは必要なものだった。とはいえ、この会社の所在地は田舎ながらも住宅が密集する地域、このような飼い方が許されるわけはなかった。近所の住民からは、お宅の犬がまた明け方にうるさく吠える。お宅の犬がまた離れている、あちこちで糞尿をばらまいていると再三苦情が来ていた。
その日もシンバは当然のように吠え。社長は面倒くさそうにシンバの鎖を解いた。そしてこれがシンバにとって、あらゆることの最後になった。通報を受けた保健所が野良犬としてシンバを捕らえたのだ。
これを確認したご近所さんの一人は社長に事の顛末を話し、今後また同じような事があれば同じように保健所にお願いするし、それが嫌なら裁判で決めましょう。と強硬な姿勢をとった。
保健所からは、1週間以内に引き取りに来て下さいと通達された。
ある日、社員は片付けられた犬小屋に気付き、社長にどうしたのかと聞く。
「シンバいなくなっちゃって戻ってこないんだよ」
数日後、この社員が本当のことを知るに至り、私も知るに至る。
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どうすることもできない、行き場の無い怒りのような、黒い蠢きのような気持ちを、どこにも吐き出すことが出来ないとき、それが不条理の種となってポロリと辺りに散らばる。それは梅干しの種のような皺を持ち、鮮度の悪い内蔵のような色をした、不定形の種で、大小様々ある。
辺りを見渡すと、一面にその種が撒かれている事に気づく、いつの間にか種に覆われた世界に立っている。
突然この種が世界にばら撒かれたというよりは、自分の目がこの種を実体として見る事が出来るようになってしまったようだった。
しかし、これが見えたからと言って、どうしたらいいのかは全く解らない。なにしろ辺り一面。大量にばら撒かれてある。むしろ地面が見える場所が無いくらいまでにびっしり撒かれている。まるでこの状態こそが正常であるかのような、自然の摂理の如き有様なのだ。
自然の摂理なのかもしれない。という思いもこみ上げる。我々の周りには常に、どうすることもできない、どう乗り越えていいのかも解らない、回避のしようの無い、不条理な出来事で充満しているのかもしれない。それは、全く納得のいかない事だけど、どうすることもできないものだから、種となってこぼれるしかないのかもしれない。そして、こぼれた種が発芽した時、恐ろしい出来事に生者を飲み込み、更に種を増やす。絶望のような気持ちと吐き気に襲われて目を覚ました。そんな悪夢。